「心ふるえる詩」
~金子みすゞの詩を読まれたことはありますか?(第1回)
1 はじめに
皆様、お元気ですか。弁護士篠木潔です。
新型コロナはなかなか収束せず、社会は第2波のおそれにおののき、そんな中、豪雨災害も相次ぎ、さらに夏の暑さで熱中症への対策も必要です。皆様も、くれぐれもお体ご自愛くださいませ。
2 金子みすゞの詩との出会い
さて、これから私の大好きな詩人の話をさせていただきます。
皆さまは、金子みすゞの詩を読まれたことはありますか? 東日本大震災の後、「こだまでしょうか」という詩がテレビで流れていたのでご存知の方も多いかと思います。「私と小鳥と鈴と」は小学校の教科書にも取り上げられましたね。
私は金子みすゞが大好きです。彼女の詩は私の心の原点であり戒めともなっており、彼女に深く感謝しています。
私は今年で弁護士歴23年ですが、弁護士になって5年目が経過した頃、私は法的知識を駆使して事件を迅速に解決できる優秀な?弁護士となり、周囲からも先生先生と持ち上げられ少し傲慢になっていました。人間の欲や欺瞞が渦巻く日常紛争業務の中で私の心も殺伐としていました。多くの依頼者の方にも様々な苦悩や悲しみがあるにもかかわらず、それに全く配慮することなく上から目線で「事件」の「処理」にあけくれ、勝訴を自慢していました(このためか私はこれまで裁判で3回しか負けたことがありません)。
そんな折、私は出張先で時間つぶしに立ち寄った本屋さんで、ある詩集が目に留まり何気なく手に取ったのです。それが金子みすゞの童謡集でした。そして、帰りの新幹線の中でその詩集を読んで強い衝撃を受けました。それは「大漁」という詩でした。
3 何万の鰮(いわし)のとむらい
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ。
大羽鰮の
大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。
浜で大賑わいの人間様の知らないところで、なんと、何万のいわしのお葬式が行われているというのです。誰かの幸せの陰で見過ごされがちな小さな命の悲しみに思いを寄せた詩です。それをわずかな行数と子供でも分かる簡単な言葉で表現しています。見えないけれども確かに存在する弱いものへの直観力と慈愛に満ちたまなざし、そして浜から一気に水面下へと視点を移して対照化する力強さが好きです。
列車の中で一時の安息のため、心が無防備だったのでしょうか。私はわずか十行のこの詩を読んで、涙がポロポロとこぼれてきて止まらないのです。私の割り切った弁護士活動の中で傷ついた関係者の方も大勢いらっしゃっただろうと深く反省しました。そして私も金子みすゞと同じような目と心を持ちたいと思いました。
そうして手に取った童謡集を読み進める中で私がもっと驚いたのは、そんな慈愛に満ちたこの詩人が、当時「若き童謡詩人の巨星」と称賛されながらも半世紀にわたってその詩が埋もれていたこと、そして夫に詩作を禁止され不遇な人生を過ごし26歳の若さで自死してしまったということです。
何ということだろう。こんなに素敵な詩を書ける人なのにどうして?? やりきれなさで心がふるえました。
私はそれ以来、何かあるとみすゞの詩集に触れています。つらいことがあったとき、傲慢になりそうなとき、仕事に疲れたときなど様々です。毎年正月にも必ず読むようにしています。それは新年の自分への戒めのためと大好きなみすゞと会話をしたいと思うからです。
この「大漁」の詩が私の出発点となりました。
いかがですか? よくもまあ、こんな優しく素敵な詩が書けるものだとつくづく感心いたします。皆さまもぜひ金子みすゞの詩集を手にしてみてください。いろんな詩が載っていますよ。
次回ブログでは、金子みすゞの詩集の中で私が大好きな詩をいくつかご紹介いたしますね。 (続く)
弁護士 篠木潔
(詩の出典「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より)